The Technology and the Society
Raymond Williams, The Technology and the Society, The New Media Reader, The MIT Press, 2003, pp.289–300. Original Publication
Television: Technology and Cultural Form. Hanover, N.H. : Wesleyan University Press, 3-25, 1992. 1st printing, London: Fontana, 1972.
邦訳
『テレビジョン テクノロジーと文化の形成』 木村茂雄, 山田雄三訳, ミネルヴァ書房, 2020
Further Reading
Abbate, Janet. Inventing the Internet. Cambridge: MIT Press, 1999.
Bradner, Scott. “The Internet Engineering Task Force."Open Sources: Voices from the Open Source Revolution. Sebastopol, Calif.:O'Reilly & Associates, 1999.
Internet Democracy Project. <www.internetdemocracyproject.org>
Lessig, Lawrence. The Future of Ideas. New York: Random House, 2001.
Sclove, Richard. Democracy and Technology. New York: Guilford Press, 1995.
Winner, Langdon. "Technologies as Forms of Life." The Whale and The Reactor: A Search for Limits in an Age of High Technology, 3-18. Chicago: University of Chicago Press, 1986.
Winston, Brian. "How Are Media Born?" Questioning the Media: A Critical Introduction. Ed. John Downing, Ali Mohammadi, and Annabelle Sreberny-Mohammadi. Thousand Oaks, Calif.: Sage Publications, 1990.
Winston, Brian. Media Technology and Society: A History. London: Routledge, 1998.
Introduction
原著「Television: Technology and Cultural Form」の冒頭の章「社会におけるテクノロジーの役割」で、Raymond Williamsは技術決定論を批判し、コミュニケーションとメディアの観点から新しい概念を模索している。技術決定論は技術の発展こそが社会に変化を及ぼす要因であるという考え方で、学術的な作家たちの間では賛否が分かれている。したがってウィリアムの試みは今日(New Media Readerの出版時)でも重要な意味を持っている。 インターネット黎明期の事例は「社会的プロセスと技術的プロセスとの相互作用によって生み出されたものである」と言うことができ、これはRaymond Williamsが主張する技術の定義の正当性を示している。人々はインターネットに関わるかあるいはそれを見守るかを選択することができ、その選択が次世代のインターネットが作り出す社会的な価値に大きな影響を与える。 本論
序文(pp.291-292)
人々は「テレビが私たちの世界を変えた」「新しい世界や社会が蒸気機関などの新しい技術によって生み出された」といった発言に慣れ親しんでいるために、その明確な意味を理解できないことがある。そうした発言の背景には未解決の歴史的・哲学的な疑問が隠されているが、そのような根本的な疑問を解決するのは難しい。その上、テレビに関する簡単で実用的な調査や研究をする仕事の方が魅力的な立場にある。そういった実用的な仕事では支援や資金調達が可能であるのに対し、そのほかの研究は単に理論的で抽象的なものにしか見られていないためである。
しかし、技術と社会の間の原因と結果に関する疑問を極めて現実的でかつ社会的な問題であり、こうした問題が社会的・文化的議論の重要な部分を形成していると考えられる。
こうした問題を念頭に置きながら、特殊な文化技術としてのテレビに対し、その発展、制度、形態、効果を批判的な目線で分析することを試みた。以降では、A.技術と社会における原因と結果の見解、B.技術としてのテレビ史、C.テレビ技術の使用の社会史、という三つの見出しで分析が行われる。
A. Versions of Cause and Effect in Technology and Society(pp.292-293)
まず初めに、「テレビが私たちの世界を変えた」という一般的な表現が具体的に何を意味するのかを考え、そうして挙げられたいくつかの例文について考察した。その結果、それらの例文は
「技術が内部的発展を超えて生まれることはなく、その後に生じる結果もまた技術そのものから偶発的に生まれるものである」
「技術の偶発性に触れつつも、その重要性は目的にあり、それこそが社会の秩序や人間味を内包している」
という二つの考え方のどちらかに基づいていると考えられる。
まず一つ目の考え方は「技術決定論」として知られており、当時の時点では社会変化に関する議論において最有力となっている。それに対して二つ目の考え方は、あまり決定論的ではない。この見解では、技術は社会的変化のプロセスにおける一要素に過ぎず、他の因果的要因の重要性の方が強調されている。 これら二つの議論が技術と社会に関する考え方の大部分を占めているが、その両方が「技術を社会から切り離して考えてしまっている」という問題を抱えている。そしてそれは当時の社会思想において深く確立されているため、覆すのは難しい。
そこでテレビという特殊なケースを考えることで、こうした問題に対して異なる解釈を示すことができるかもしれないと考えた。「異なる解釈」とは、「研究開発の時点で目的や実践が念頭に置かれており、かつ技術を中心的なものと捉えた考え方」である。
B. The Social History of Television as a Technology(pp.293-295)
テレビという発明は電気、電信、写真、映画、ラジオなどの複合的な発明と発展に依存している。1875年からテレビは特定の技術的目標として独立して発展してきたが、その実現の一部は、他の目的の元になされた発明に依存しているのである。
全期間を通じて、テレビジョンというシステムが予見されてその手段が積極的に模索されていたのは明らかだが、発電や電信・電話に比べ、散在する研究をまとめるための社会的投資はほとんど行われていなかった。1914年以前には熱電子バルブや多段増幅器などの技術的な課題も存在したが、それらはまだ発明されていなかったという事実がある。こうした応用技術のさまざまな分野における決定的な違いは、社会的な次元で説明できる。生産やビジネス・輸送通信の新しいシステムは経済的なレベルですでに組織化されていたが、社会通信の新しいシステムはそうではなかった。したがって、映画が開発されたとき、それは「余興」という社会形態の中でも特徴的であったが、その成功は既成の形態の一つである劇場で資本化されるに留まった。
全体を通して興味深いのは、多くの複雑な関連分野において生産・通信システムは、一般的な社会変革の段階における動機(incentive)であると同時に反応(response)でもあったということである。重要な発見のいくつかは孤立した個人によってなされたが、最も一般的な社会では、選択された強調と意図の重要なコミュニティが存在した。特に通信システムにおいては、開発されたシステムの重要な構成要素が発見されて改良される前に、あらかじめ技術的にすべてが予見されていた。つまり、通信システムが新しい社会状況を作り出したということではない。長い資本蓄積と技術改良の歴史の中で生じた工業生産の転換や新しい社会形態が新たなニーズと可能性を生み出しており、テレビを実現するための通信システムはその本質的な成果であったのだ。
C. The Social History of the Uses of Television Technology(pp.295-)
現代社会において、社会的なニーズが示されればそれに適した技術が発見されるという考えは真実ではない。これはある特定の時期におけるいくつかの実際のニーズが既存または予見可能な技術的知識の範囲を超えているためである。
実際に意思決定グループが優先するニーズは明らかに利用可能な技術的装置とは異なり、技術が依存するリソースの投資と公式の許可による開発を必要とする。これは工業生産の主要な発展と特に軍事技術の発展にはっきりと見られる。しかし、通信技術の社会史は興味深いことにこのいずれとも異なっており、この変化の要因を発見することが重要である。
この問題はいくつかの異なるレベルで見る必要がある。非常に広い範囲を見ると、新しい種類の拡張された移動可能で複雑な社会と現代の通信技術の開発の間には有効な関係があり、通信技術の第一段階の発展の主な動機は軍事および商業作戦における通信と制御の問題から生じたものである。これは距離と規模が大幅に拡大する直接的な要因と、輸送技術の発展における間接的な要因の両方がある。電報と電話、そして初期のラジオは軍事や商業目的で開発された通信システムの二次的要素であり、19世紀から20世紀にかけてこれは決定的なパターンである。
では、社会的な通信手段の新しい技術開発につながったニーズは何だったのか。新聞の発達はこの問題を理解する主要な証拠である。新聞は拡張された社会的、経済的、政治的システムの発展だけでなく地域の危機にも対応して出現した。
写真や映画の発展についても同様である。国内および国外の移動が激しくなり、距離を超えて特定の個人的なつながりを維持するための方式として写真の必要性が増加した。また、写真が動画に拡張された後も、新しい種類のダイナミックな認識が必要とされた。
音声放送が決定的に発展したのは1920年代である。戦時中に軍事目的で開発された音声電信は、技術の進歩の後に経済的な機会と社会形成によって生じたニーズに直面した。
産業資本主義の革命により暗示されていた社会プロセスの強化が訪れ、特に居住地と職場や政府の施設との距離が増加した。その結果安定して独立した家庭が多くなり、新しい形のコミュニケーションの必要性から外部情報としてのニュースの形式が誕生した。そして、1920年代の最初に決定的な段階に達した新しい「消費者」技術は制限と圧力の中でこの複雑なニーズに応え、民営化された住宅の改善と新しい移動手段とともにラジオによるニュースや娯楽が生まれた。それらは産業資本主義社会の圧力と制限に対応した応用技術と考えられる。
ラジオにおいては1930年代までに非常に効率的な音声放送を行うことができ、独自のラインに競合相手はいなかった。一方、テレビはその質的改善をほとんど行うことができず、集中的な研究機関のあとに開発された高解像度カラーテレビも映画と比べて非情に劣った品質のものだった。しかし、ほとんどの人はこの家庭的なテレビに興味を示し、結果としてテレビの劣った品質にも慣れた。映画は一人の監督の個別の作品を提供するのと対照的に、放送は音楽やニュースやエンターテインメント、スポーツなど様々なコンテンツを提供したことが理由として挙げられる。
結果的に家庭内での幅広い映像の視聴できる利点は映画の技術的な利点をはるかに上回った。ラジオ放送の時代において、映画は非情に人気の娯楽であったが、放送が視覚化されたとき、テレビは映画に代わる娯楽となった。
社会通信に多大な投資が行われた場合、表面的にはテクノロジーの効果は新しい社会的複合体であるように見えるが、経済発展を抑制する複合体が存在する。そして、このような背景に照らして、放送機関の発展やメディアの利用、そして新しい技術段階の社会問題に目を向けなければならない。